『伝』
DOL用語サイトとか見たり、最近あったりしたことで、
ふと思った事を書き連ねてみる。
リスボン沖の模擬群を通り抜ける時、
ジェノバスクールの時、または他愛もない会話してたり、
町を歩いてて目にしたりする言葉に、色んな略語があるなぁと思う。
その略語を使って、相手が分かるのならいいと思うのだけど。
でも、そういった略語ばかりじゃないと思う。
言葉の意味だけが、伝わればいいってもんばかりじゃ無いかなって。
例えば『ありがとう』『よろしく』『お願い』『ごめん』etc..
これらを略して『あり』『よろ』『おね』『ごめ』って使っている場面はよく見る。
実際、私も『あり』『ごめ』は、忙しかったり
気が抜けてたりすると、ついつい使ってしまう。
『よろ』『おね』だけはあまり使ってないつもり。
マディに対してさえもあんまり使わないなぁ。
やっぱり人に頼むから、きちんと言いたいかな。
でないと失礼な気がするし。言われても不快だし。
親しき仲にも礼儀あり。
凄く年寄り臭い意見かもしれないんだけど。
顔が見えない世界だから
文字で伝えられるものには限界がある。
いくらその文字に気持ちを込めていても
顔が見えない以上相手には100%は伝わらない。
だからこそ、些細な略語かもしれないけど
きちんと言う事で、相手に少しでも気持ちを
伝える事が出来るんじゃないかなって思う。
それをきちんと言えてる人は、いい雰囲気出してる人が多いし
『あり』『よろ』とか言う人よりも誠意を感じるしね。
私も、出来る限り『ありがとう』『ごめん』と
略さないで言うようにしようと思った。
音声言語でも、伝え切れないことって沢山あると思う。
声の抑揚で相手の感情をはかれるらしいけど
感情を殺して話すことも出来るらしいね??
私には聞こえないから、それは理解出来ない。
激しく嬉しくても、場面に応じて必要ならば
気持ちを押さえて声を調整することが出来るらしい。
そういった意味では音声言語は便利。
音声で即座に言いたいことも伝えられるし。
反面、音声言語に対して視覚に訴える言語である『手話』は、
真逆と言えるかもしれない。
誰もが見ることの出来る言語。
電車とホームを窓が隔てても会話出来る言語。
感情をそのまま手話という言葉に置き換えるから
手話を使う人は表情が凄く豊か。
例えばプレゼントを貰って、
『めっちゃ嬉しい!ありがとう!』って言うとする。
『めっちゃ(とても)』という手話はあるにはあるが
手話を主とする人は、そういう手話を使わない人が多い。
顔もしわくちゃになるほど嬉しい表情をして
『嬉しい』という手話を体全体で強く激しく動かせば
それが『とても嬉しい!』になる言語だ。
音声言語のように、うわべだけっていうのはあまり存在しない。
表情や体の動き、目の表情を見れば、すぐにうわべが分かるから。
人は無意識に感情が体のどこかに出てるものなんだ。
言葉上だけじゃなく、表情とか体の動きとかを目一杯使って
相手に伝えようとする意思をすごく感じるのが
『手話』の魅力と言ってもいいかもしれない。
人々の表情が乏しくなってきている現在において
聞こえる人が手話に魅せられるのも、そこにあるらしい。
生まれつき聞こえないけど、音声言語でコミュニケーションをとってきて
高校から手話にも触れた私だから思うことだけど。
人にものを伝えるときって、絶対どこかに限界があって
理解しあえなかったり、言葉が足らなかったりする。
音声言語だけでコミュニケーションをしていた頃は、
人にものを伝えるということの深さにあまり気づかなかった。
どうせ言っても分かり合えるのに限界があるしと
どこか諦めに似たような感情ってのは誰しも持ってるのではないか。
ところが手話で表情や体の動き、目の動きでも相手に意志を
音声言語にさらに付加して伝えることが出来るんだって知ったとき
人にものを伝えられる可能性が広がったような気がしたんだ。
私が20歳のとき、成人祝いパーティが西宮であって、
その会に出席したときに話したスピーチを今更ながらに思い出した。
『きく』という言葉には『聞く』と『聴く』があります。
『聞く』という単語には、『耳』が付いている通り、
(耳を傾けて聞く)という意味があります。
『聴く』という単語には、『心』が付いています。
(心を傾けて聴く)という意味です。
これから色んな出会いがあるでしょう。
出会った人の話には『聞く』ではなく、『聴い』て行きたいと思います。
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2008.01.29 | | Comments(2) | 粘土模造&雑記 ■





