13年
去年の夏、田舎に帰った時に見た古時計
その記事を書いてた時、この写メを載せるのを躊躇って辞めました
今日はせっかくなので、掲載
どんなモニュメントより、一番私の心に刻まれている時計です
あれから13年も経ってしまったけど、
地震直後の風景も、被災生活も、叔父の葬式もはっきり覚えてる
補聴器も眼鏡もなくて、全く音の無い無音世界の中で
まだ朝焼けも来てない暗い寒空の下、沢山の瓦礫が散乱してる風景
こういう記憶は色褪せることって、ないのかもしれないね
被災地の中で、圧死者数も死者数も一番高かった地区に住んでるから
13年経った今じゃ、新築の家ばっかり
それも、瓦屋根は全然見かけない
木造アパートがあったりして、昭和風情も残ってたのに
今ではレンガ道で洒落た洋風の町並みになってしまった
震災の日の半年前に、偶然近所に引越ししたから、まだ生きてる
元住んでたアパートは1階が潰れて2つ隣のおばあさんが死んじゃった
そのアパートの大家の子供も2人とも死んじゃった
ちっちゃい頃、玄関先でゴザひいて一緒におままごとしたなぁ
叔父は西宮にいて、マンションなのに1階が潰れて死んじゃった
直後の火災で真っ黒焦げになり、歯科治療跡で身元判明
近所にあった祖父母の家は全壊、被災住宅暮らしを余儀なくされた
地震後は小学校に避難して、寒い校庭で夜が明けるのを
持ってきた布団に包まって震えながら待ったっけ
お昼くらいから校舎が開放されて、教室で見知らぬ人と雑魚寝
夜、硬いポロポロおにぎりが支給されて、近くに居た人がノリをくれた
そのおにぎりを頬張った時の感触は、一生忘れないと思う
あまりにも異様な光景過ぎて、おにぎり食べるまで生きてる実感なかった
数日後には隣で火災が起こって、また大勢が顔をこわばらせながら
校舎から避難した
結局散乱した家に戻って、数日後親戚の家に避難することになった
大阪までなのに、道路が寸断されてるから車で6時間もかかった
渦中に居る人間には、現状がいくら目の前にあっても
全貌を理解することはなかなか出来ない
親戚が持ってきてくれた新聞で、初めて事の深刻さを知った
情報ってめっちゃ大切
親戚の家を転々した日々を送り、やっと家に帰れたのが数ヶ月後
ライフラインが復旧するのはもっと後だった
学校に戻っても、集まった生徒は教室1つ分
マスコミが後ろで撮影しながら、空にはいつもヘリの音が絶えない状態
今も、地震とかでちょっとした揺れを感じると脳裏に
ドーンという音と縦揺れが起きた瞬間と、怖くなって被った布団の上に
倒れて来たタンスの重みがフラッシュバックする
トラウマほどの大げさなものではないけど、体が防御反応示すんだろう
倒れたタンスの下敷きになって挟まって動けなかった
家族が助けに来てくれるまで、皆あっちの部屋で死んでて
誰も助けに来ないんじゃないかとか不安がよぎって、
長い、地獄のような時間が流れた
タンスの反対側にあった本棚のお陰で、タンスの天井部分がつっかえて
地面と隙間が出来たお陰で、私は九死に一生を得た
声高に震災の記憶を語り継ぐようなことは出来なくても
こうやってブログに書き留めるだけでも大事なことかなと思ってる
毎年似たような事を書くかもしれんけど
それでも、忘れ去られてくよりいいよね
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2008.01.17 | | Comments(2) | 粘土模造&雑記 ■





